Aboutのコピー

prips — Brand Story
中学生の頃、雑誌で見かけた一足のサンダルが、どうしても欲しくなった。
憧れていたスタイリストがデザインしたもので、ヘビ柄の、先の尖ったぺったんこの靴だった。近所では売っていなくて、電車を乗り継いで原宿まで買いに行った。
店は、当時の僕にはあまりにも洗練されていた。
場違いな気がして、ただそこに立っているだけで緊張したのを覚えている。
誰かに勧められたわけでもなかった。
流行っていたからでもない。
雑誌のページで見た瞬間に、ただ「これが欲しい」と思った。
なぜ欲しいのかと聞かれても、きっと上手く説明できなかったと思う。
でも、それでよかった。
今振り返ると、あれが僕にとって最初の「自分で選ぶ」という経験だったのかもしれない。
誰かに正解を教えてもらうのではなく、
自分がいいと思ったものを、自分の意思で選ぶ。
洋服を好きになった理由のひとつは、そこにあったような気がする。
もうひとつ、よく思い出す時期がある。
浪人生だった頃、僕は仲のいい友人三人と、異様なくらい洋服にのめり込んでいた。
受験生なのに、平日から精一杯お洒落をして予備校へ行った。
今思えばかなり奇抜な格好もしていたし、周囲から白い目で見られていた自覚もある。
それでも、不思議なくらい気にならなかった。
僕たちの中では、誰がどう見ているかなんて、あまり重要ではなかった。
新しく買った服を見せたり、
変な組み合わせを試したり、
どうでもいい話をしながら街を歩いたりした。
あの時間だけは、何かから解放されていた。
当時はそんなふうに考えていなかったけれど、
今になって思えば、あれは受験という「評価され続ける時間」からの、小さな逃避だったのだと思う。
点数がつく。
順位がつく。
合否が決まる。
まだ社会に出てもいないのに、自分の価値を何かの尺度で測られ続けているような感覚があった。
そんな中で、好きな服を着ることだけは、誰にも採点される必要がなかった。
似合っているかどうかすら、たぶん二の次だった。
自分たちが格好いいと思えば、それでよかった。
あの奇抜な格好は、社会に対する大げさな反抗ではなかったと思う。
もっとささやかなものだった。
他人の尺度から少しだけ離れて、自分の感覚に戻るための、小さな抵抗だった。

大人になり、街の中で働くようになってから、その感覚は少しずつ遠くなった。
誰かの期待に応えること。
役割を果たすこと。
結果を出すこと。
評価されること。
僕たちは思っている以上に、一日の多くの時間を「自分が何者なのかを証明すること」に使っている。
もちろん、それは悪いことではない。
自分の足で立ち、自分の責任で生きていく強さは美しいと思う。
でも、人はずっと強くいられるわけではない。
いつも自分を説明し、
いつも価値を証明し、
いつも誰かの期待に応え続けるのは、少し疲れる。
だからこそ、ときどき何も証明しなくていい場所が必要なのだと思う。
対等でいられる誰かと、
どうでもいい話をする時間。
緊張しなくていい会話。
無理に埋めなくてもいい沈黙。
そこでは肩書きも、結果も、評価もいらない。
ただ一緒にいるだけでいい。
そんな時間の中で、人はふと、本来の自分の顔に戻る。
考えてみれば、あの予備校時代の三人と過ごしていた時間が、まさにそうだった。
そして、中学生の僕が原宿までサンダルを買いに行ったことも、
浪人生の僕らが奇抜な服で街を歩いていたことも、
根っこのところでは同じだったのかもしれない。
誰かに決められた自分ではなく、
自分の感覚で、自分に戻ること。
pripsが服を通して届けたいのは、そんな感覚だ。
理由なんてなくていい。
自分の目で見て、自分が好きだと思ったものを選ぶこと。
そして、その服を着て、
対等な誰かと、何も証明せずに過ごせること。
服が人生を大きく変えるなんて、言うつもりはない。
でも、一着の服によって少しだけ自分を好きになれたり、
いつもより自由な気持ちで街を歩けたりすることはあると思う。
その小さな変化は、案外大切なものだ。
都会では、強くいることを求められる。
速く動くこと。
結果を出すこと。
自分の価値を示すこと。
そんな場所で、それでも自分の感覚を失わず、
誰かに優しくあり、
温もりを持って生きていくこと。
それは簡単なことではない。
だけど、僕はそういう生き方を、美しいと思う。
pripsもまた、そんな人のための服でありたい。













